サポート日記

家族のサポートで人生このまま終わるのか?疑問に思いつつも日常に追われる人のブログです。

また、こちらに戻る日がくるなんて・・・。

実父の死からすでに7年半が過ぎ、平穏な日々を取り戻していました。
まさか、また自分で書いていたこのブログを読み返す日がくるとは・・・。

ヤフーのシステムも随分変わってしまいましたね。

覚書として記録しておこうと思います。

10月26日早朝、義母より電話
「おじいちゃんが歩けなくなった!どうしよう。」

 急いで駆け付けるとベッドの横になり起き上がれない。
 声をかけると返事は出来る。顔色も少し白い。
 ただ、両手両足を動かしているし、頭痛もないので脳疾患は疑わなかった。

 救急車が到着。血圧が216と高い。これからかかりつけになるはずだった
 K病院に搬送される。

 義父84歳は都内のかかりつけ医院まで電車を乗り継いで1時間ほどの距離を一人で
 毎月通っていた。さすがに大変になったので紹介状をK病院あてに書いてもらっていた。
 その初受診予定の一週間前に倒れた。

 入院となるも、高血圧と不整脈以外の重篤な症状はなかった。

10月29日、会社の帰りに病院によると
 「今日退院されましたよ。」

 え?昨日お見舞いに来た時は退院の話などなく、発熱しているということだったのに?
 義母に電話があり
 「病院にいてもぼけるだけですからはやく退院させた方が良い。」と言われたそうだ。
 杖をついて歩く81歳の義母が一人で迎えに行き退院手続き。それだけでも大変だろうに
 車いすで病院玄関まで送られ、歩けない義父を看護師さんたちがタクシーに乗せてくれたらしい。
 自宅はエレベーター無しのマンション。階段を登れない義父を近所の方が背負ってくださったそうだ。

 そこまでして退院させたかったのか?

 急いで、義母の家に行く。ベッドで義父は寝ていた。
 話しかけても反応は無い。安定剤を病院で飲まされているからと義母が言っていた。

10月30日早朝 再び義母から電話。
「おじいちゃんの様子がおかしい。」

 発熱している。39度5分。これはおかしい!
 再び救急車で病院へ。

 今度は違う担当医。
 「敗血症です。危険なレベルなのでガンマグロブリン製剤を使う許可にサインを。」

 なんで、昨日退院させたのか?聞けば、入院中、尿も出ていなかったらしい。

続く